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時々思い出して何かを書いてとどめておくだけ

研究イノセント

研究に対して思うところが増えた。今後どうなっていきたいかも含めて一旦ここに考えをまとめておくことにする。本当は学振やら研究やらやらなきゃいけないことはたくさんあるんだけど,それらとも少しは関係しているのかもと思ってまとめておくことにした。3年後くらいに見返して,なんか答えが見つかればいいかなと思う。お酒を飲んでいて雑な文章だが許してほしい。


僕は京都大学大学院情報学研究科の修士2年生で,自然言語処理とコンピュータビジョンを融合した領域のVision and Languageの研究をしている。いわゆる人工知能分野のうちの1つの領域で,自然言語処理,コンピュータビジョン両方の分野を知っておかねばならないため,満遍なくサーベイし自身の研究を進めている。 両方の分野を眺めていて思うのは最近「なんでこれが(このグレードの国際会議に(?))通るんだろう」という研究が増えてきたということだ。いやまぁ,もちろん通る理由はある。Introductionの書き方がうまいとか,データセットを作った+手法を提案した,とContributionが明確だ,とか。そういうぱっと見は確かに通りそうに見えるんだけれど,じゃあ実際その研究を自分の研究でも使ってみましょうとなった時に中々うまくいかない。というか,うまくいかないことに気づく。「この大切なパラメータはどう設定されているんだろう」とか,手法の重要な部分は先行研究を引っ張ってきているだけで何も記述されていなかったりとか,(その人の環境/実装ではうまくいったのかもしれないが)再現できないものが本当に多いように感じる。そして大抵がGithub上に上がっておらず,著者に丁寧にメールしてみても全くもって帰ってこない。帰ってきたとしても,明らかに疎ましがられる。こないだなんか,自然言語処理のトップ会議であるACLに自分の研究と全く同じ課題設定の論文が出ており,彼女らはそのためのデータセットも提案していたから連絡を取ると,"もうパソコン上に存在しない"と言われてしまった。おいおい勘弁してくれよ...

そんなことが重なって重なって,あぁ, トップ会議でもこれか。と思うようになってしまった。同時に,僕たちは何のために研究しているんだろうな,とも。論文をいいところに通すために研究しているんだろうか? CVPRに,ACLに? いやぁ, 通すことができる人はすごいと思うよ。尊敬する。実際俺も書いてみて,まぁ今査読中だけど,本当にしんどかったし。尊敬する,尊敬するんだが,俺たちがやってることって意味あるの? 広くは人類のためになるの? 本当は自らの知的好奇心を満たすとともに,社会に還元して行くべく研究をしているはずなのに,それにハイと答えられない自分がいる。多分個人の最適解としては,良いところに論文を通し続けて,かっこよく博士課程を卒業し,GoogleやらMicrosoftなどの研究所に行くことなんだろうな。俺も"ちゃんと論文を通し続けて",かつ"世のため人のためとなるような"研究をし続けたいよ。正しい道を歩き続けたいよ でも自信がないよ。


B4からM1にかけて,俺は頑張って論文を出したと思う。研究することが好きだったからだ。でも,少しずつ,自分のやった研究も残していかないと虚無が襲ってくるようになった。ちょっとずつ,Githubに誰もが使えるように整備している。データが一部クローズなデータだったから,オープンなデータで代替できるように変更を加えて,コードを書いて再現できるよう整えている。これがある種,論文を通し続けないと息ができない世界で意味がないことも知っているが,やらないと死にたくなる。

俺が研究者として生きるなら,この研究に対するイノセントな気持ちも,少し殺して進めることもしていかないとまずいんだろうな。エンジニアとして生きるなら,それもそれで良いと思う。これから博士課程に進むとして,その後俺が将来何になっているのか知らないが,どうこの気持ちに答えをつけたかだけ聞かせてほしい。